型をやる本当の意味

考え方・疑問
「型をやる本当の意味って、何だろう?」
 
 
この疑問に対して、僕は長年こう考えていました。
 
空手なら空手、テコンドーならテコンドー、少林寺拳法なら少林寺拳法。
「それぞれの武術特有の動き」を体に染み込ませるためである、と。
 
無論、それは間違いではないと思いますし、理由の大半がそれだと今でも思っています。
 
 
ただ、僕と親交のある大阪のN師範も最近よくおっしゃっている通り、少なくともテコンドーにおいては「プムセ(型)をやりこんだから、キョルギ(組手)が強くなった」という話を、ほとんど聞いたことがありません。
 
むしろ両者は連動しておらず、「キョルギで日本一を獲りたければプムセは昇級(昇段)審査に合格できる程度にしておいて、あとはキョルギの練習に専念するべき」という考え方は必然だと思います。
 
 
しかし先日、YouTubeを見ていて「型をやる本当の意味」が少しわかったような気がしました。
 
それは、「体に染み付いたクセや無駄な動作を修正するため」です。
 
 
NHK「アスリートの魂」に荒賀龍太郎選手(伝統派空手)が出演した時のVTRがYouTubeにアップされており、僕はそれを見たのですが……。
 
 
 
開始26分30秒頃から見ていただければわかりますが、荒賀選手は「突きを打つ際に斜め後方に蹴り出した力が肩に伝わり、突きの初動が相手にバレる」ということを、山城師範(沖縄拳法空手)から指摘されています。
 
その後、沖縄拳法空手の型を2時間ほどやった後で突きを放つと、荒賀選手の肩の上下がほとんど無くなり、初動がわかりにくくなった、という現象が起きています。
 

 
 
「型稽古を一人でやる」ということの意味は、本来はこういうものではないのか、とこれを見た時に思いました。
 
だからこそ、本来の意味から逸脱した型(大会で「魅せるため」とか)や、表面上の動きだけ真似た型稽古には、何の意味も無いのだ、と。
 
 
現在僕には聞きかじりの知識しかありませんので、ハッキリとしたことは言えませんが……例えば「膝を抜く」という近代格闘技ではあまり見られない古武術の身体操作がありますが、これは空手の型「ナイハンチ」をやりこまないと身に付かないと聞いたことがあります。
 
しかし、もしこれができるようになれば、相手からすれば接近してくるのがわかりにくくなり、自らも膝や足首への負担が減るはずです。
 
 
身近にこういった技術を教えていただける方がいないのが残念だとずっと思ってきましたが、縁あって来月そういった技術を教えていただけるかもしれません。
 
 
僕ごときに理解できるのか、理解できたとしてもそれをテコンドーの試合に応用できるのか、子どもたちに正しく教えることができるのか……。
 
やってみないとわかりませんし、机上の空論で終わってしまうかもしれませんが、やれるだけのことはやってみたいと思います。
 
 
……楽しいです!(*^^*)

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