殺意は努力して身に付くものなのか?

考え方・疑問
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昔、「お前はせっかくパワー(蹴りの威力)があるのに、殺意が無い。だから、向き合ったときに怖くないんだよ」と、人から言われたことがあります。

「さ、殺意ってそんな物騒な……」と、その時は思いましたが、よくよく考えてみると、今まで戦ってきた中で「こいつは化け物だ」と思った選手たちは、みんな殺気を帯びていました。

 

向き合った時に「怖い」と感じる。
だから、なかなか深く踏み込むことができない。

しかし、向こうは僕のことが怖くもなんともない。
だから、易々と僕の間合いに入ってくる。

 

「殺意って、努力して身に付くものなのか?」

 

考えても仕方ないので、今日も一人稽古。

シャドーを2分9ラウンド。
今日は、別の練習+シャドー2分6ラウンド。

 

2分間のうち、最低5回は蹴りに殺意を込めてみる。

 

上段回し蹴りは、相手の頭蓋骨を陥没させるつもりで蹴る。

 

後ろ蹴りは、相手の肋骨をへし折って内臓に突き刺すつもりで蹴る。

 

蹴るとき、気合いの代わりに「死ねー!!」と叫んでみる。

 

……いかん、これは危ない方向か?
今、道場(公民館)の外に人がいたら、通報されそうだ。(^_^;)
と、余計なことを考えつつも、シャドーを続ける。

 

嫌なことやイライラすることがあった日ほど、殺意は込めやすいけど、それは純粋じゃないですよね。

 

相手が嫌がることを、
嫌がるタイミングで、
嫌がる角度から、
淡々と実行するのが格闘技であって、それを純粋に追究し続けるのが格闘技者だと思います。

 

難しい。
何年やっても、本当に難しい。

 

誰からも教わらなくても、それがわかってしまう、できてしまうのが、きっと天才なんでしょうね。

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